身近な食材であるニホンウナギ(Anguilla japonica)が、どこで生まれるのか。それは古代ギリシャ以来、2000年以上も答えの出ない問題でした。現在わかっている産卵海域は、日本から約2000〜3000キロ離れた西マリアナ海嶺南部です。ただし、産卵そのものは今も野外で直接観察されていません。2005年の孵化直後の仔魚、2008年の成熟した成魚、2009年の天然卵という証拠が段階的にそろい、場所と時期が絞り込まれたのです。
「泥から生まれる」と考えられた理由
アリストテレスは『動物誌』で、ウナギには卵や生殖器が見当たらず、湿った泥に自然に生じる「大地のはらわた」に由来すると述べました。もちろん自然発生説は誤りですが、川で暮らすウナギに卵を持つ個体が見つからない、という観察自体には理由がありました。ニホンウナギは川や汽水域で成長した後、海へ下って遠く離れた外洋で成熟・産卵するからです。
深海から川へ、そして再び海へ
卵からかえった仔魚は、透明で柳の葉のように平たいレプトセファルスになります。北赤道海流で西へ運ばれ、黒潮につながる流れを通って東アジア沿岸へ近づき、細長いシラスウナギへ変態します。その後、河川・湖沼だけでなく河口や沿岸などでも「黄ウナギ」として成長します。
成熟が近づくと、体色が銀白色になり、目が大きくなる「銀ウナギ」へ変化して川を下ります。海で産卵し、淡水・汽水域などで成長する生活史は「降河回遊」と呼ばれ、川で生まれて海で育つサケ類の遡河回遊とは逆向きです。回遊中は餌でエネルギーを補給せず、蓄えた脂肪を使うと考えられています。
2005年、2008年、2009年に証拠がそろった
研究者は、より小さな仔魚ほど産卵地点に近いはずだと考え、何度も航海を重ねました。2005年、東京大学海洋研究所のチームは西マリアナ海嶺付近で孵化後2〜5日ほどのプレレプトセファルスを多数採集。産卵域を海山列の周辺まで狭めました。
2008年には水産庁と水産総合研究センターの調査で、成熟したニホンウナギの雄が外洋で捕獲されました。さらに2009年5月、同海嶺南端付近で天然卵31個を採集し、遺伝子解析でニホンウナギと確認。孵化直後の仔魚、成熟個体、受精卵という別々の証拠が同じ海域で結びついたことで、産卵場の特定は大きく前進しました。卵や仔魚の採集時期から、産卵は新月期に集中する可能性が高いとされています。
「水深3000〜4000メートルで産卵」は正確ではない
西マリアナ海嶺周辺の海底は数千メートルの深さですが、2009年の卵が採集されたのは水深約160メートルでした。つまり「深い海の底で産む」と確認されたわけではなく、深海底の上に広がる外洋の中層が舞台です。また、親魚が何を手がかりに狭い海域へ戻るのか、実際にどの経路を泳ぐのかも未解明です。
JAMSTECなどの2024年の研究は、海流と水温を組み込んだ数理モデルから、流れの弱い深度200メートル以深をほぼ直線的に進むと時間とエネルギーを抑えられる可能性を示しました。これは実際の個体の全行程を追跡した結果ではなく、「効率的ならどんな経路になるか」というモデルによる推定です。
ニホンウナギの基本情報
| 学名 | Anguilla japonica |
|---|---|
| 生活史 | 降河回遊(海で産卵し、淡水・汽水域や沿岸で成長) |
| 産卵海域 | 西マリアナ海嶺南部周辺 |
| 幼生 | レプトセファルス(透明で柳葉状) |
| 保全状況 | IUCNレッドリスト「Endangered(絶滅危惧)」 |
発見後も残る課題
産卵場がわかっても、資源問題が解決したわけではありません。養殖用種苗は現在も天然のシラスウナギ採捕に依存しています。水産研究・教育機構は2002年に人工ふ化仔魚をシラスウナギまで育て、2010年には次世代まで人工環境でつなぐ完全養殖に世界で初めて成功しました。しかし、安定した大量生産やコスト低減はなお開発課題です。
まとめ
ウナギの出生が長く謎だったのは、卵を川ではなく数千キロ先の外洋で産み、成長段階ごとに姿も場所も変えるためでした。2005〜2009年の連続した発見は産卵海域を科学的に裏づけましたが、親魚の航法や野外での産卵行動など、旅の核心にはまだ観察できていない部分が残っています。
参考資料
- 東京大学「ニホンウナギの産卵地点の発見」
- Tsukamoto et al. (2011), Nature Communications, “Oceanic spawning ecology of freshwater eels in the western North Pacific”
- 水産総合研究センター「世界初!成熟したウナギを外洋で捕獲」
- 東京大学「いつかあなたに逢うために」(2009年の天然卵31個と採集深度)
- JAMSTEC「ニホンウナギの産卵回遊」
- 水産研究・教育機構「ウナギ人工種苗生産技術に関する情報」
- Aristotle, History of Animals(英訳)
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