何年も海で暮らしたサケは、どうやって生まれた川へ戻るのでしょう。川の景色を思い出すようにも見えますが、母川を見分ける重要な手がかりは、水に溶けた物質の「におい」です。ここでは日本でサケと呼ばれるシロザケを中心に、においを覚える時期と、帰郷が川の生態系にもたらすものを紹介します。
川のにおいは、何年たっても同じ?
若い時期に経験したにおいが、成長後の帰郷を導く記憶になる現象を「嗅覚刷り込み」と呼びます。候補となる物質には、水中の遊離アミノ酸があります。ただし、川の水は季節や年によって変化するため、まったく同じ水が流れ続けているわけではありません。
天塩川のシロザケを調べた2013年の研究では、4年間を隔てた春と秋の水を比較すると、アミノ酸の濃度は大きく変動しても、一部のアミノ酸が占める割合には安定したものがありました。成熟した雄は、それぞれの時期のアミノ酸組成を再現した人工河川水を、対照の水より好みました。変わりにくい「成分の組み合わせ」が帰郷の手がかりになる可能性を示す結果です。においの正体が一物質に決まった、という意味ではありません。[1]
いつ覚える?海へ下る稚魚の発達段階
シロザケは、ふ化直後には腹部の卵黄を栄養にし、卵黄を吸収すると浮上して泳ぎ、餌を食べる段階へ進みます。日本のふ化放流では、そこから稚魚を育てて放流します。北海道では通常3〜5月に放流し、数日から1か月ほどで海へ下ります。[2]
2016年の研究は、ふ化場で育った当歳のシロザケが川を下る時期に注目しました。放流直後に甲状腺刺激ホルモン放出ホルモンの遺伝子発現が増え、降海中には学習・記憶に関わるNMDA受容体の構成要素NR1の発現も増加しました。甲状腺ホルモンの投与でもNR1の発現が促され、体の発達と記憶形成を結ぶ仕組みが示唆されます。ただし、これは「この一日にだけ覚える」と特定した実験ではなく、記憶そのものを直接読み出した結果でもありません。[3]
外洋でも、においだけで進むの?
母川の水を見分けることと、広い海で進路を決めることは分けて考える必要があります。2014年には、海に出た経験のないマスノスケの幼魚に、海の分布域の北端・南端に相当する磁場を与える実験が行われました。魚はそれぞれ分布域の内側へ向かう方向を選び、磁場の強さと傾きの組み合わせを利用することが示されました。[4]
これは磁気を使うナビゲーションの実験的証拠ですが、対象はシロザケとは別種です。日本のシロザケが外洋から母川まで帰る全経路を磁気だけで説明するものではありません。景色の記憶を帰郷の主役とする説明は適切ではない一方、「視覚は一切使わない」「海のどこからでも川のにおいが届く」とまで言い切るのも行き過ぎです。
母川回帰と日本のふ化放流
国内のふ化放流は、戻ってきた親魚から採卵・受精し、ふ化した魚を育てて放す流れです。人工飼育された魚も、放流後に川の水を経験しながら海へ向かいます。母川回帰は、放流した魚を次の親魚へつなぐ重要な性質です。[2]
ただし、においを覚えれば必ず帰れるわけではありません。水産研究・教育機構では、放流時の体重や沿岸水温と回帰率の関係も調べています。帰る場所を見分ける能力に加え、海で生き残るための放流条件も重要です。[5]
一生を終えた後も、海と川をつなぐ
産卵後に死んだサケの体は、海で蓄えた栄養を川へ残します。こうした窒素やリンは「海洋由来栄養塩」と呼ばれ、捕食者による運搬などを通して陸域にも届きます。[6]
北海道の遊楽部川を調べた学会発表では、サケの死体が多い区間の地下水とヤナギの葉を分析し、死体由来の窒素が水を通じて河畔林へ届く可能性が報告されています。これは学会要旨に基づく地域的な観察で、どの森でも同じ効果があると断定はできません。帰郷は繁殖だけでなく、海と川、森の物質循環にもつながっています。[7]
シロザケの基本情報
| 学名 | Oncorhynchus keta |
|---|---|
| 分類 | サケ目・サケ科・サケ属 |
| 回遊 | 川から海へ下り、北太平洋で成長して産卵のため戻る |
| 成熟年齢 | 2〜8年。回帰親魚は4年魚が中心 |
| 北日本への来遊・遡上 | おおむね9〜12月。地域や系群によって異なる |
年齢・季節などの出典:水産研究・教育機構「日本のサケ科魚類」[8]
まとめ
母川を探す鍵は、若い時期に経験した水のにおいです。降海期の体の変化、外洋での方向感覚、帰郷後の栄養の循環まで見ると、サケの旅には動画だけでは伝えきれない広がりがあります。
参考資料
- Yamamotoほか(2013):母川のアミノ酸組成とシロザケの選好実験
- 水産研究・教育機構:ふ化放流事業のながれ
- Uedaほか(2016):シロザケの嗅覚刷り込み・母川回帰とホルモン
- Putmanほか(2014):マスノスケ幼魚の磁気地図の実験
- 飯田真也(2026):本州日本海側のサケ回帰率を高める放流手法の検討
- 北海道大学(2014):サケを食べない知床のヒグマ~安定同位体による食性分析~
- 日本生態学会大会講演要旨(2004):河畔樹木の窒素安定同位体比と水質からみた遡上サケによる栄養添加の検証
- 水産研究・教育機構:日本のサケ科魚類
サケをもっと知る本・グッズ
本欄にはアフィリエイトリンクが含まれます。Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。

